組織

甲南大学映画研究部では、入部金と部費を支払い、義務とされる部活動に参加している者を部員と呼ぶ。
さらに、部活動を円滑に運営していくために、執行部が組織され、1年ごとに改選されていく。
その下部組織として、各行事にパートリーダーを設置することもある。
また、文化会に属している団体であるために、それにまつわる役職も設置されていた。
また当部を引退したOB・OG連中によるOB会なるものの存在も以前はあった。
2019年現在も、公式非公式問わずいくつか存在が確認されている。


●執行部

・「部長」

「部長は部を代表し、部務を総理し、執行部及びクラブ全体を監査することにより、部の発展に貢献する」

つまり、俺が部長だ、文句があるか? といえる最高権威。
映研の全ての最終責任者である。言うまでも無く、その代その代の執行部の特色が一番現れる人物がなっている傾向に思われる。部長になりたがる部員も稀にいるが、部長になりたがる人間ほど部長に不向きだと同回にたしなめられることがよくある。


・「副部長」

「部長を補佐し、部長代理を行うと共に、三役を監査し、部務における庶務全般を総括する」

つまり、便利屋。
部室管理、OB会との窓口、施設検討委員会など、いわゆる庶務雑務屋。


・部代(部会代表)

「他文化団体と交流を持ち、情報収拾及び映研の情報宣伝に務め、そこで得たものを部内に還元することにより、映研の発展に貢献する」

つまり、部活動にはあまり意味のない活動だが、対学校(学生課)へのPRと、
部活動自体への興味が薄れた人間が見つけた、部活とは違う楽しさを追求しようとする「文化会活動」を、円滑に行おうと、各部員へ参加を促す人間。
ちなみに各部の部代を集めた「部代会」という文化会下部組織があり、
「部代会は文化会全体を考え、行事の企画、審議・決議を行い、それを実際に執行する事により文化会活動を充実、活発化させる事を目的とする」とのことで、週一回開かれる。


・「会計」
  
「部の会計事務全般を総括する」

つまり、部費の徴収と領収書の管理と学生課との面談をする人間。
別名「領収書回収係」。学生課との予算折衝をする機会には、ありとあらゆる詭弁を用いて少しでも予算を減らされないようにしなくてはならない。尚、学祭の際には、模擬店委員(たいてい何かの飲食物を提供)を担わされる。



・「機材/製作管理」

「機材管理及び取扱全般、製作状況の両方面から映研の中心活動である、自主映画製作全般を総括する」

つまり、映写機やカメラ、ビデオデッキ、ビデオカメラとかの撮影機材の管理をしようと覚悟をするけど、数ヶ月後には、そんな覚悟は完全に忘れて、完全に放置しておく人間。24時間、金庫にでも入れておかないと、そんな管理はできるわけもなく、逆にだれかが壊しても、機材が責任取れとか言われる、非常に理不尽な役職でもある。
  

・「上映」

「映研のすべての上映会において指導的且つ監査的立場であり、それぞれの委員(新歓、美人座、学外)に助言し、上映会が円滑にすすめられ、内容が充実するように部員を指揮していく。各上映会において上映は責任者である」

つまり、学祭の上映会だけを実際運営し、そのほかの上映会は、全てパートリーダーに任せる人間。
ある意味、部長の次に華やかな役職かもしれない。
学祭の際には、展示委員を担わされる。
   
  
・「マネージャー」

「映研の合宿及びコンパ活動が円滑にすすめられるように務め、またそれらの活動の会計面の一切を取り仕切る、いわば部の幹事である」

つまり、飲み会と合宿の場所をとる為の人間。
ちなみに、映研は、一時「酒の映研」と言われていた(自称していた?)ので、他部と比べても、飲み会の回数は多いほうであったと思われる。
鳥政(現在閉店)、養老乃瀧、磯子屋、ハイボール等に顔がある程度きくような人間になるというところが唯一の役得に思われる。
しかし、現在の実社会でもそうであるが、ノミニケーションの必要性の有無が、いつも総会の議題に上っていたことも事実である。
これらの飲み会の存在と飲み会での失態が、部員の退部に繋がったケースはかなり多かった。



・「渉外」

「キャンパスフィルムパーティ並びにシネック関西神戸エリアなど、他大学との合同上映会などで、映研を代表することにより、対外的に映研をアピールし、部の発展の貢献する」

つまり、他大学の映画研究部や他自主映画団体と交流しようとするだけの人間。
下記にあるような他大学との合同の上映会などを、運営・推進していくこともする。
   


・「他役職執行部」


つまり、上記役職以外の執行部。ミニコミ委員などを兼務していたはず。
ある意味、オールマイティな活動をしなくてはならない。
※常任委員会などに就任すると、必然的にこの役職になる。


尚、執行部会といって、週1度程度、学生会館1階でミーティングを行っていた代が多い。



●各パートリーダー

学祭以外の上映会と機材講習会には、パートリーダーと呼ばれる、リーダーが任命される。その者と執行部とが話し合いながら、
各イベントを進行管理していく。


新歓パートリーダー / 新勧上映会のパートリーダー
美人座パートリーダー / 美人座上映会のパートリーダー
機材講習会パートリーダー / 機材講習会のパートリーダー
学外上映会パートリーダー / 学外上映会のパートリーダー



 

●文化会関係組織

 
・常任委員会
   
文化会の統括者。ひらたく言えば、文化会館などの文化会施設や文化会行事などの管理人。
現在は、おそらく27団体ほどの文化会所属団体があるようである。
かなりの多忙を極めている様に見える為、文化会員からは、特異の目を向けられていた。
しかし、委員自体は本来の部活動にはなかなか参加できずにいたようで、
それを望んで委員になる者もいたようである。ある意味、悲哀な委員でもある。

・監査委員会

結局、何をしているかよくわからないが、文化会的に勢いのある部の前部長が就くことが多く、文化会活動において、発言権などは大きかったように思われる。

・施設検討委員会

文化会館などの施設状況を話し合うなど、何の意味もない委員会。
対大学への意見陳情なども行われなかった。形だけの委員会と言っていいだろう。


   

●参加団体

・神戸シネック

関西学院大学、甲南大学、神戸大学、神戸市外国語大学、神戸学院大学、神戸山手女子短大等が参加していたはず…www
年に1回くらい合同上映会をしたりしていた…はず。

・関西シネック

関西のいくつかの大学(大阪芸術大学、大阪市立大学、大阪経済大学、関西大学、近畿大学、摂南大学、帝塚山学院大学…等)の映画研究部による学生自主映画団体のようなはずだったような気がする。
2011年現在でも存在する模様。


このほか、京都シネックとかCFP(キャンパスフィルムパーティ)とかあったが、記憶が曖昧である。



●「OB会」

   
「甲南大学映画研究部OB会」という組織も、以前は存在が確認されている。
学祭の二日目に、OB会と現役との懇親会(於 鳥政)も催されていた。OB会主催で「眠れる獅子賞」という、現役の作品を評価する賞もあった。映研が廃部する数年前に、自然崩壊したと聞き及んでいるが実際は不明である。
   

※OB会やOBと現役部員との交流について

OBと現役生との交流の形式や密度は、時代とともに大きく変化していった。現役生活動もOB会活動も趨勢だった頃は、多少のいざこざもあったようだが、それぞれの領域を不可侵として、独自に活発に活動していたように思われる。

学祭二日目には、映研部室にてOB会の総会が行われていたり、上映会場にて顔合わせなども行われ、その後「鳥政」(閉店)にて懇親会が行われていたり、それ以外でも接触頻度も多く、映研とOB会という「組織同士」での繋がりは、比較的良好であった。
  
しかし、OB会が分解してしまったと同時に、現役とOBとの組織上での接点も少なくなったことにより、それぞれの領域の線引きが出来なくなったと考えられる。一部のOBには、先輩という立場を利用して、現役部員への期待と不安と嫉妬の入り混じった、屈折したと思えるような圧迫的接触を直接図る者がいた。それは個人的ななんらかの意図を持っていたと思われる。その直接的で圧迫的な接触に、一部の現役部員が耐えられなかったというのが、相互の関係を崩壊させた、一つの要因であろうと推察される(現役時代、一部のOBが疎ましかったという者も少なからずいるはずである)。


廃部当時の現役部員や近い立場の者に聴取したところ、
ある機材の所在について、甲南大学学生部まで巻き込んだ大事が起こり、
それらの出来事の際の数々のやりとりに、現役部員が辟易し退部、部自体の存続が不可能になり廃部に陥ったという、数人の証言がある(無論、双方の言い分もあるだろうし、何が事実かは当人達しか知らないことで、この他にも廃部の誘引材料は諸々あったものと推察される。あくまでも片方の意見であり、部外者の推測でもある)。
  
当部は、多くの体育会系とは違い、年数に伴なう経験値による明確な力量の差が出にくいことや、
そもそも上手いとか下手とか勝ち負けのはっきりしない部活動であるため、
年功序列という型式が、他部に比べて脆弱にならざるを得ない。
また、自主映画製作をメインの活動にしている部であるから、
各部員のクリエイティヴィティに対してのプライドが尊重されるべきはずなのに、
その割には、徹底した年功序列や礼儀を他部より重んじる風潮もあったように思われる。
飲み会と称し、意欲的に飲まない同輩・後輩にアルコールを無理強いすることや、
わかった上での現役生を困らせるような無理難題をふっかけてくるOBも存在した。 
もっとも、組織(団体)活動である以上、人間関係の構築の為の礼節は必要不可欠のものであるが、
かといって、暴論や暴走と思われても仕方ないような先輩や一部OBの言動に、
振り回される現役もいたことは、証言や伝聞により想像出来るし、管理人も実際にそうであった。
それらの一部先輩や一部OBの言動には、先輩としての一般的助言、苦言もあったが、
現役部員の活動に何のメリットも無いばかりか、因縁に近いような言動もあったことも事実である。
一部の現役部員には、一部のOBに対して「クチは出すがカネは出さない」「いい大人たちが何を今更…」的な不満もあった。

ただ、創部したのは歴代のOB・OG諸先輩方であるし、当時あった機材の多くはその先輩達の尽力で
購入していた、もしくは私物提供されていたであろうことや、長きにわたって部が存続出来たことも、諸先輩方の当時の部活動の結果であるのは、厳然たる事実である。
その歴史を認識し敬意を表することは、各現役部員としては当然であり、それが欠如・不足していたことも事実だろうと思われる。
     
しかし、いつの時代でも、部はあくまでその時代の現役大学生のものであり決してOBのものではないことと、
部活動は現役大学生の学生活動の一部あること(OB活動ではない)は、間違いない。

  • 最終更新:2022-04-08 15:35:34

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